自分とはまったく関係にないし、違う生物なのはわかっているけれども
日本人が海外で讃えられるとなんか自分まで褒められている気になってしまう
勘違いも甚だしいなありです。
快挙です。たぶん。
指揮者で有名な小澤征爾さんが日本人ではじめて
ケネディ賞を受賞しました。
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◯小沢征爾さんって誰?
読み方は小沢征爾(おざわせいじ)さん。
1935年(昭和10年)中国のシャンヤンで誕生。
四人兄弟の三男。
とにかくめちゃくちゃすごくて有名な日本人指揮者。
なにがすごいのか。
◯名前の由来がすごい
お父さんの小沢開作さんは、歯医者さんでした。
父である開作さんは政治運動にのめり込んでいて「征爾」という名前は
当時親しくしていた板垣征四郎(陸軍大将、陸相)と石原蓉爾(関東軍参謀)から
一文字ずつもらってつけたそうです。
お母さんはさくらさんという名前でクリスチャン。
小沢さんは幼い頃から母親から賛美歌を習い、歌っていました。
この時から音楽に触れ合っていたわけですね。できる人は違う。
◯経歴がすごい
1941年(昭和16年)日中関係の悪化により、日本に引き上げ東京に家族で暮らします。
十歳ごろからピアノを習い始めましたが、一家の経済状況は苦しく親戚からピアノを譲ってもらいました。この時のエピソードは有名らしく。(三日かけて、兄二人と父親とリヤカーで横浜から運んできたらしい…)
小澤征爾さんの少年時代は音楽とスポーツ(ラグビー…JOJO…)に費やされました。そんな彼が指揮者になる決意をしたのはレオニード・クロイツァーがビアノを引きながら指揮をしているのを見たことからです。
のちに彼は遠い親戚にあたる斎藤秀雄さんに師事します。
1950年(昭和34年)2月1日、本場のヨーロッパで学びたいと海外に渡航することを決意。
同年9月には、フランス・ブザンソンでのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。
1960年(昭和44年)5月、ベルリンでカラヤンの弟子を選ぶコンクールに優勝。
こと時にヘルベルト・フォン・カラヤンに師事します。
同年7月渡米。目的は指揮者シャルル・ミュンシュに会うためでした。
そこでも音楽祭に参加し、指揮者コンクールで一位となります。
クーセヴィツキー大賞も受賞する。
1961年から1962まではニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の副指揮者を務めます。
1962年(昭和37年)サンフランシスコ交響楽団の指揮。
同年6月NHK交響楽団の指揮者に就任しますが、
このあたりで団員にボイコットされます(後のN響事件)
この際「日本で音楽するのやめる!」といったそうな。
1964年から1969年の間にラヴィニア音楽祭の音楽監督を務める。
と、とにかく経歴がすごい。◯◯大賞受賞とか並びまくっていて目が滑ります。
他にもニューヨーク・フィル、ロンドン交響楽団、ベルリン・フィルの定期公演で指揮したりタングルウッド音楽祭を監督、と「名だたる楽団制覇してるんじゃねぇ?」と思うほど。海外の音楽会では小澤征爾さんは無くてはならない存在です。
2002年(平成14年)にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤー・コンサートに東洋人としてはじめて指揮者として舞台に経ちました。
この様子は世界中に放送され、高い評価を得ます。
2010年には食道がんに罹り、公演を中止するなど災難にもあっていますが、
現在は無事回復されているようです。がんは転移する病気などでまだまだ予断は許されない状況でしょうが。
そういえば、なありも食道がんで世界的有名な日本人指揮者がどうたらこうたら、
とはなんか聞いた覚えがあります。
名前まではちゃんと聞いてなかったのですが、
どうやら小沢さんのことらしいですね。
◯ケネディ賞って何?
正式名名称はケネディ・センター名誉賞。
1978年からはじまった優れた芸術家に送られる賞です。
祝賀会は例年12月ジョン・F・ケネディ・センター歌劇場で開催されます。
歴代の受賞者の名前をざっと見てみたのですが、誰が何をしたのかまったくわかりません。どうやら芸術家といってもかなり幅広い意味で女優がシンガーなども受賞者になっているようです。
小沢さんと同時に受賞が発表されたシシリー・タイソンさんは女優さんですしね。
今回のことではじめて知った名前ですけどね!
ぐぐったらかなり有名な人でした。黒人女優さんです。
いろいろとしらないにもほどがある
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