むちつみ

無知は罪らしいので気になったことや流行りの話題をまとめてみる

※ 当サイトはアフィリエイト広告を利用しています

MENU

春といえば桜ではなく梅だった?!人々の暮らしの記録と今

▽スポンサーサイト

 

 

春の花といえば桜が思い浮かびますよね。

でも、ずっとむかしは違ったのです。

 

桜が登場するまで日本の春の花、

といえば梅だったといわれています。

※諸説あります。学生時代古典研究をしている方から

聞いた一説です。

 

特にさまざまな歌人のウタが集められた

「万葉集」でも初期の頃のウタにある「春の花」といえば

梅をさしていたのです。

 

梅は中国原産だといわれています。

中国文化の影響で春の花といえば梅、という認識が

ウタをたしなむ当時の上級階級の間では広まっていました。

 

目次。

   

 

 

 

『万葉集』における梅

『万葉集』で梅がよまれたウタは120首ほどです。

これは桜をよんだウタ40首よりも多く、

当時の歌人たちの文化における梅の存在感が伺えます。

 

梅が身近な花だったのは上級階級

 

とはいっても春の桜として

梅を身近に感じていたのは、

おそらく当時の上級階級の人たちだけでしょう

 

万葉集にはさまざまなウタがおさめられていますが、

梅のウタをうたっているのが身分の高いモノが多いからです。

そういうった人々が歌会などで庭の風景を詠む、

そこには梅や桜など春の花々が咲き乱れていたことでしょう。

 

しかし、ソレ以外の世界で生きる人々はどうだったでしょうか。

 

当時の日本ではウタをよむという行為は

ある程度ならどんな身分のものでもできたらしいですが、

一般階級で生きてきた人たちの実際の生活を知ることはできません。

 

記録がほとんど残っていないからです。

 

 

記録が残っているのはほんの一部

私達が当時の出来事を知ることができるのは

昔の研究者残した著者や貴族の日記が残っているからです。

 

しかし昔は今のように紙や筆を手に入れることができるのも一部。

ちゃんとした読み書きを習うことができたのも一部。

 

少なくとも今当たり前のように享受しているモノの

多くをかつての人々は持っていませんでした。

 

知識や技能、道具を手に入れることができ、

それを書き写す余暇があった一部の人間の記録を頼りに

私たちは過去の世界がこうであったのではないかという

仮説を立てているにすぎません。

 

記録を残すこともできなかった多くのソレ以外の人々の

本当の生活、本当の気持ち、生きた環境の真実を知ることはできないのです。

 

上級階級の生活とソレ以外

ウタを残した多くは上級階級の人々です。

彼らにとって梅は身近な花だったのでしょうが、

ソレ以外の世界で生きていた人たちにとっての

身近なものだったかどうかはわからないのです。

 

 

桜のお話。

桜といえば「ソメイヨシノ」ですね。

しかし、これは江戸時代に人々の手によって創られた種で、

自然に生えてきたものではなかったりします。

 

ソレ以前は桜、といえば山々に咲くヤマザクラを指していました。

江戸時代以前のウタに出てくる「さくら」は

おそらくですがヤマザクラなどのソメイヨシノ以外のウタを詠っているのでしょう。

 

私達が思うさまざまなことと、昔の人が思っていたさまざまなことは

決して同じものではありません。でも、四季をを美しいと感じる心は日本に住む我々にしっかりと受け継がれているんではないでしょうか。

 

春の匂いを感じる、なんてことを自然と

多くの人がつぶやく現代です。

 

感性はたしかに衰えたかもしれません。

失ったものもたくさんあると思います。

でも、得たものも、受け継いだものもしっかり存在するのです。

 

 

 

ちょっと、真面目に語ってみました。

 

 

関連記事

mutitumi.hateblo.jp