上記の記事が流れてきたので、思ったことをリハビリがてらにつらつらと書いてみました。
今の若い人は「オタクになりたい」というよりは「個性的になりたい」≠「オタクになりたい」と思っているのだと思います。
- 「個性的」=「オタク」という図式
- 動画を倍速でみるとオタクになれないのか
- 気づいたらなっているそれが「オタク」
- 戸口を広く持って
- オタクになりたいのなら多くのものに触れるべし
- オタクは別に特別な人間でもなんでもない。
「個性的」=「オタク」という図式
オタクっていうのは一つの物事に熱中していたり、たとえば『マツコの知らない世界』などの番組にはさまざまな分野に特化したいろいろな「オタク」が登場します。
彼ら彼女たちは好きなことを極めて、好きなことで生計を立てている。
「個性的であれ」という圧力がある世の中で、彼ら彼女たちのような「個性的な生き方」は「理想的」なものに見えるのではないかなーと。
今でも偏見の目で見られることの多いアニメやゲーム、漫画などのオタクも「熱中できるほど好きなことがある」という意味では、憧れる要素はある…のか…??
実際にどう思っているか十代が遠い昔で二十代の記憶もかすれ始めているアラサーにはわかりませんけれど。
今の世の中作品は、ひとりで楽しんだり同じ趣味の界隈だけで考察したりするものではなくなり、コミュニケーションのツールのひとつとなってしまったってことですよね。
それは今の若い子はとても生きにくいだろうな。
いつでもSNSでつながっていて、コミュニティの中で流行ったものにはとりあえずのらないといけない。
興味があってもなくても、時間がないから作品が多いから倍速で見てネットで情報を補足して…
下手するとばぶられたりいじめられたりするかもしれない。
そうじゃなくても自分だけクラスの話題に入れない、というのは学校が世界のすべてな学生時代にはキツい。
よほどの変人かメンタル強者じゃない限り。
そして変人かメンタル強者は往々にして「オタク」と呼ばれるなにか自分が熱中できるものを持っていたりするんですよね。
動画を倍速でみるとオタクになれないのか
私は別に倍速でみようがなんだろうか法に違反(漫画村とか)していない限り、いいと思います。
どんな形であれ作品に触れたのならばなにか受け取ったもの感じ取ったものがあると思うので何にも見ない聞かないやらないより全然マシだと思ってます。
なにより動画を倍速でみようが等速でゆっくり見ようがオタクになるときにはなっています。
気づいたらなっているそれが「オタク」
もうすでに何百回と言われているし書かれている言葉だと思いますが「オタクにはなるものではなく気づいたらなっているもの」です。
そしてオタクの基準は個々で違います。
上を見れば果てがない、それがオタクです。
下手をすると「オタクの定義」そのものが違う場合もあります。
こうしないとオタクではない、○○しないならオタクではない、と言い合うのは不毛だと思います。
俺はオタクだ!と思ったらオタクでいいと思います。
ただ、自他ともに認められる”オタク”≠「これのことならこいつに聞け!」のは自分ひとりで解決できることではないのでむずかしいですね。
自分のことオタクって思ってる人間の他人へのオタクジャッジは厳しいから…オタクめんどくさいいきものなんで…
戸口を広く持って
数をこなせばオタクになれるわけでもないし、オタクになれないわけでもない。
多くの映画をたくさんみているオタクもいればある一つの作品を何回も見ているオタクもいる。
前者は「映画オタク」ですし、後者は「一つの作品のオタク」ですよね。
オタクであることには違いはないわけです。
オタクになりたいのなら多くのものに触れるべし
いや、これしかないのでは?
映画やアニメ、漫画、ドラマ、倍速でみてもいいし、ウィキペディアで情報を補足してもいい。
ただ、コミュニケーションのツールとして”仕方なく”消費していた作品に少しでも興味をもてるものがあったら、倍速する手を止めて等速で見てほしいと願います。
今の世の中、AmazonやAppleなどの音楽配信サービス、Kindleなどの電子書籍、Netflixなどの動画配信サービスで一定の料金を払えば、一生では見きれないほどの作品と触れ合うことができます。
それらの作品の数はどんどん増えていきます。
おそらく減ることはないでしょう。
そりゃ見るために倍速にもするでしょ、って納得するしかない。
ただ、ですね。
付き合いで興味はないけど仕方なく”映画や漫画、小説、アニメ、ドラマ、音楽…などなど、その中でひと目みたときに、ほんの数秒耳にしただけで惹かれるものと出会うことがあると思うんです。
思いたいんです。
「なんで好きなの?」と聞かれても「わからない好きなものは好き」としか答えようのない感情と出会うことがきっとあるはずです。
気づいてたら、巻き戻してはじめから見ていた映画。
気づいたら何度も同じページを繰り返し呼んでいる漫画。
気づいたら口遊んでた音楽。
気づいたら指でなぞっていた一節のある小説。
倍速だろうが速読だろうが作品に触れている以上、なにか興味をひかれるものと出会うはずです。
そういうものに出会えたら、その感覚を無視せずに向きあえたら。
気づいたときには立派な「オタク」になっていると思います。
そしてそういう熱中できるものに出会うにはもうひたすら泥臭く「数撃ちゃ当たる」を繰り返す必要があるのです。
とりあえ、読んでみる、聞いてみる、見てみる、やってみる。
これを繰り返す中で、なにか一つ「ビビビッ」とくるものがあるはず。
オタクは別に特別な人間でもなんでもない。
なにか特別なものが見つからなかったからといって別におかしな人間でもつまらない人間でもないです。
ただ、今、あなたがはまれるものがこの世に存在しないだけなんです。
あなたの存在にこの世のムーブメントが追いついていないだけ。
世界のほうが遅れている、そう思っときましょう。
ぶっちゃけオタクってただ「好きなものがあるだけ」のつまり趣味があるだけの人間のことですからね。
たまに、オタクの中にもいろいろいますし。
めちゃくちゃ浅瀬でわいわい水遊びしているのもいれば、足だけつけてぼーと過ごしているのもいるし、ひとりで深海まで潜っているのもいる。
深海に家つくって住んだり、都市つくっているレベルのやべぇやつがいてすごい注目されるので比較して、自分は…って思ってしまうだけです。