ねこあつめのあいことば「傾奇者」
読み方は「かぶきもの」
Google日本語入力アプリでは「かぶきもの」で一発変換できます。
変換できない場合は、一文字づつ入力してみてください。
傾 → かたむ(く)
奇妙 → き(みょう)
者 → もの
傾奇者(かぶきもの)の意味とは何か
かぶき者(かぶきもの。傾奇者、歌舞伎者とも表記)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮。特に慶長から寛永年間(1596年~1643年)にかけて、江戸や京都などの都市部で流行した。異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのこと。茶道や和歌などを好む者を数寄者と呼ぶが、数寄者よりさらに数寄に傾いた者と言う意味である
傾奇者の他に歌舞伎者とも書くようです。
簡潔にいうと「派手な格好をした(男の)人」のことを意味します。
(現代風にいうとめっちゃ派手で男気があるヤンキーというのが一番、正しいかもしれません)
今でいうロリータ、ゴスロリ、パンクファッションを好んできる人のように一般的、とされるものから外れた個性的な格好の人たちのこと、ですね。
といっても傾奇者のほうは+今で言うヤンキー暴走族のようなことをしていたのでファッションだけ奇抜な人たち、というわけではありませんでした。
地味なファッションのルールを破る個性過激派集団
特に江戸時代は男性がきる着物は地味な色合いが一般的でした。
その中で傾奇者(かぶきもの)と呼ばれる男性は女性用の鮮やかな着物をマントのように羽織ったり、派手な髪飾りをつけたりと当時の常識から逸脱した異様な格好をしていました。
このあたりがゴスロリやパンクファッションなど個性的とされるファッションを好む人と似ていますね。
しかし、傾奇者は暴走族やヤンキーのような違法行為、迷惑行為をしていて、嫌われている面もありました。
その反面、反社会的なモノに憧れを抱くのはいつの時代も同じなのか「かっけぇ!!!」となる若者や中にはすごい人気者もいたとか。
織田信長が実はこのかぶきものだったとか徳川将軍の中にもかぶきものがいたとか…
真偽はわかりませんが武士がかぶきものに傾倒することは多かったようです。
ルールガチガチの武家社会の貧困層が傾倒していった
傾奇者になるのは主に武家の奉公人、雑用係の人々でした。
彼らの多くは武家出身ではなく、外から雇われた人間で戦がなくなれば仕事もなくなり
生活が安定しない貧困層。
不安や幕府(政府)に対する反抗も込めて、当時のルールや常識を破る格好する、ということに傾倒していったのでしょう。
傾奇者は歌舞伎の原型
1603年(慶長8年)に出雲阿国がかぶき者の風俗を取り入れたかぶき踊りをはじめました。
今で言う創作ダンスですね。
これが大ヒットし、各地に広がります。
しかし、同時期に傾奇者(かぶきもの)文化は徳川幕府による取締りの強化によって姿を消していってしまいます。
しかし、傾奇者(かぶきもの)の文化や美意識は日本の伝統文化「歌舞伎」の中にしっかりと受け継がれてます。
「傾奇者」は伝統文化となった「歌舞伎」の原型といえる存在なのです。
参考サイト
(※出典が表示されてないなど情報の真偽不明)