考察と言うかポエムっぽい気持ち悪い文章。
与太話として対戦よろしくお願いします。
マシュのぐだ、藤丸立香(以下主人公)に対する信頼に対して、最近重すぎない?ちょっとずれてない?と感じたのでそのあたりについて徒然と考察というか妄想という与太話を書き綴ってみました。
マシュのぐたに対する認識
俺たちの後輩の信頼が最近重すぎて怖い
LB7でプレイヤーがもっている情報とマシュがもっている情報で違いがあるからそう感じるのだという意見も見ましたが、それはそれとしてブレない信頼が怖いと感じるようになりました…
マシュの生育環境はまともなものではありませんでした。
デザイナーベイビーであり、生まれてから日々実験に晒された非人道的な日々。
カルデアの外を知らず、本物の青空を知らず。
それでも人を憎まず、恨まず、無垢なまま。
むしろそういう感情を抱く情緒すら育っていなかった(のだと妄想しています)
マシュは出会った当初は(ぐだぐだ系などのとんちきイベントを除く)どこか感情の薄い不思議な少女でした。
マシュの「先輩」呼びの意味
マシュは、”普通の人間の先輩”として主人公を「先輩」と呼んだのだと思っています。
カルデアの職員として間違いなく彼女のほうが先輩であるのに、後輩と主張する。
それは人としての「後輩」という主張。
ドクターにあってさまざまなことを知り、興味を持って、主人公と出会って、旅をして、マシュは「人」に近づいていきました。
当初は主人公に対する「先輩」としての思慕、憧れなど、違和感なく受け入れることができていたのですが、二部に入り異聞帯攻略が佳境に入るにつれて違和感を抱くようになりました。
マシュは未だに汚れなき無垢なままなんです。
おそらく、私はそれが怖い。
彼女は「人間」になっていっています。
普通かどうかはわかりませんが、出会った当初の人間味の薄いマシュ・キリエライトはもういません。
特異点や異聞帯で様々な人やサーヴァントに出会い、カルデアの主人公のサーヴァントとしてのマシュ・キリエライトではなく、何者でもないマシュとしての旅を経て、マシュは間違いなく成長しました。
個人的たわごとなのですが、
色彩の存在を教えたのがドクターとの出会い。
主人公との旅で色彩を知っていくという感じです。
(マシュにとって間違いなくこの二人は特別枠)
マシュは「普通の人の弱さ」を知らない
マシュの無垢さが怖い、と感じるのは、彼女が「普通の人の弱さ」を知らない、のではないかと感じるからです。
旅の中でマシュは出会った人々やサーヴァント、何より主人公を通して「普通の人の強さ」を何度も目にして、そして実感していったでしょう。
でも、おそらく、彼女は「普通の人の致命的な弱さ」を知らない。
「普通の人の醜さ」を知らない。
少なくとも、死にそうなときに震える手を差し伸べてくれた「普通の人」である「先輩」主人公の致命的な弱さや醜さを、マシュはその目にしていない。
(主人公がマシュの前では頼れる「先輩」であろうとしている、というのもあると思いますが)
弱さはともかく醜さはどうか。
もし、主人公が「マシュの理想とする普通の人」から「先輩」からずれたらマシュがどうなるのかどういう反応をするのかが怖い。
”普通の人”の善悪の天秤
大きなダヴィンチちゃんが(確か)言っていたのですが「普通の人の善悪の天秤は揺れ動くもの」であり、普通の人は「善人でも悪人でもない」
状況によって、どちらにもなりうる存在。
これもまた個人的な感想というか妄想なのですが。
主人公の天秤ももちろん善悪に揺れ動いているけれども、絶妙なバランスを保っていて、微妙に善に傾いている。
それでいて悪を憎まず(ジェームズモリアーティ絆)「分かり合えなくとも手を繋ぐことはできる」(天草幕間)と言わしめるコミュニケーション能力の持ち主です(だと思っています)
マシュの歪な善悪の天秤
マシュは、その天秤が怖い具合に、善に傾いて、動かない。
そんな感じがするのです。
(ギャラハッドに選ばれるだけあるというか…)
マシュは間違いなく無垢で純粋です。
とんちきなところがあってもそれはかわらない。
永遠を望まない彼女は良くも悪くも頑なで一度決めたらそれを翻さない。
LB7でU-オルガマリーを最後まで”所長”と呼んでいたところからして「一度こう思ったらこう」という頑固さが伺えます。(主人公は選択肢によって所長かU-オルガマリーどう呼ぶか選ぶシーンがいくつかある)
善悪の天秤が善に常に傾いている存在はサーヴァントにたくさん存在します。
ジャンヌなどの聖人系サーヴァントは常に善であろうとするしまさしく善なのでしょう。
「先輩」に対する頑なまでの憧憬
マシュは主人公にを出会った当初から先輩と呼び、慕います。
カルデアにおいてならマシュこそ在籍年数は長いですし、Aチームにおいても優秀な成績を修めていたという彼女のほうがあらゆる意味で先輩なのに、です。
それについてはこちらの記事で長々書きました。
かなり前なので今と意見が違っているところもあると思いますけど。
「理想とする先輩」
「普通の人」
この、”憧れ”から主人公を切り離しません。
「先輩なら大丈夫」、という、根拠のない、それでもまっすぐで真摯な信頼はずっと主人公の背中を押してくれ続けたありがたいものです。
かけがえのない祝福ともいえるものです。
でも、それは異聞帯、世界を滅ぼす戦いにおいては行き過ぎれば、呪いにもなる。
正義の味方になりたいと願い続けた衛宮士郎のように。
「人間としてごく自然な、平均的な数値のひと。
最高でなく最善を望む一般人」
「他人を傷つけず、自分を弛めず、
まっすぐに立っていられる、そんな誰か
もし主人公が最善を望めなくなり、他人を傷つけ、自分を緩めて、しゃがみこんであるけなくなってしまったら、人間としての先輩でなくなってしまったのなら、
マシュはどうするのだろうか。
失望するとは思いませんし、見捨てるとも思いません。
でも、マシュの覚悟は「先輩」に由来している、頼っている部分が大きいと思うのです。
主人公は覚悟を決めているます。
プレイヤーにも見える形で、失意の庭で、LB7で令呪を差し出してまで歩むことを辞めなかった決意で、少なくともプレイヤーには示されています。
でも、マシュの決意はそこまではっきりと描かれているわけではない、ので、どうもそこに主人公との認識の差があるのではないかと感じてしまいます。
マシュの歪な信頼
このマシュの信頼の歪さ、私はいびつだと感じるので歪と称しますが。
これに気づいているの、サーヴァントでははっきりしているのは「オベロン」ぐらい、に思います。
キャストリアとマシュは育った環境が似ているのです。
”ある目的のために生まれ、育てられた”
でも、オベロンはどちらかというとマシュに対して塩対応です。
(キャストリアびいきなところがあるからなんでしょうが)
カルデアでの日々は人に醜さに晒された日々でもあると思うのですがマシュの中では「普通の人の弱さ醜さ」にカウントされていない、んではないかと。
魔術師か技術者であろうとカルデアの裏の職務に携わっているのであれば「普通」とはかけ離れた存在ですし。
Aチームは、カドックくんも歴史が浅いとはいえ(それでもたしかエルメロイⅡ世の家よりは長い)魔術師ですし、他のメンバーはあらゆる意味で「普通」とはかけ離れています。
オベロンは「理想の先輩」像を押し付ける、マシュとそれに応えるかのように振る舞う主人公を苦々しく思っているのではないかと。
(ただたんに純粋で無垢すぎるマシュが苦手なだけな可能性のほうが大きいですけど)
理想像とは「こうあってほしい」「こうであるべき」という乱暴にいってしまえば願いであり、「カルデアのマスター」、理想の「先輩」としての主人公には先、がない。
こうあるべし、ここからはなし。
であり、オベロンが嫌う事柄であるから、なのかなと。
このあたりまだ考えがまとまっていないのですが、サーヴァントの多くはマシュに対しても好意的なのにオベロンは違うので…