イベント「ぶっちぎり茶の湯バトル ぐだぐだ新邪馬台国 地獄から帰ってきた男」にて登場した謎の子供シュシャ。
茶色の髪に金色のメッシュにぼろぼろの服。
Twitterでは彼?彼女?は茶々と秀吉の息子、お捨(すて)とお拾(ひろい)の集合体ではないか。
という考察が流れてきました。
お捨(すて)とお拾(ひろい)とは誰?
豊臣秀吉と側室であった淀(茶々)との間に生まれた二人の息子です。
先に生まれたのが幼名、お捨(すて)(あるいは棄てるという漢字)、のちに鶴松と名を改めました。
次に生まれたのがお拾(ひろい)。
のちの豊臣秀頼です。
お捨(棄)(すて)
彼が生まれたとき、豊臣秀吉は53歳と高齢で初の後継者の誕生として狂喜乱舞したといわれていますが、数えで三つのときに病で亡くなってしまいます。
捨という名が名付けられたのは「捨て子はよく育つ」という当時の民間信仰によるものです。
お拾(ひろい)(秀頼)
お捨(すて)亡き後に生まれた茶々の第二子。
幼名はお拾(ひろい)のちの豊臣秀頼(とよとみひでより)です。
幼くして亡くなった兄の幼名が「すて」だったのでそれからこちらは「ひろい」と名付けられました。
優秀で跡継ぎとして期待されて育ちますが、秀吉亡き後なんやかんや徳川とトラブって、戦うことに。
のちに大坂の陣とよばれるこれらを経て大阪城は落城し、秀頼は自刃。
彼の死により豊臣氏は滅亡してしまいます。
享年は23歳。
母である淀殿、茶々もこのとき自刃しており亡くなっています。
シュシャの正体
子供が名乗ったシュシャという名前
茶々の息子の幼名である
捨、拾
をあわせて、シュシャ、なのではないかと。
幼くして亡くなった鶴松(お捨)と若くして自刃した秀頼(お拾)。
二人が合わさって、茶々と秀吉の子供、豊臣の跡継ぎという概念として姿形をもった。
それがシュシャ、なのではないのでしょうか。
いや、わからんですけど。
とにかく豊臣の関係者である可能性は高いかなと思っています。
Twitterで流れてきたものですけど、
- セイバー沖田には懐かない(豊臣を滅ぼした徳川側の人間なので)
- 沖田オルタになつく(茶々手作りのお弁当の匂い?)
- ボロボロの服に焦げ跡がついている(大阪城は落城の際燃えた)
などがありました。
ただ、オルタがシュシャの旅は厳しいものになるってことを言っていたので抑止力的ななにかなのかもなーとも…
FGOトンデモ理論考察
もしくはFGOとんでも理論で鶴松と秀頼は同一人物だった、とか。
(例:源頼光と牛御前)
大穴でまったくもって関係ない存在でしたーとか。
ニライカナイの神様てきなあれとか。